「経験してないからわからない」「わかってもらえない」人の心はすれ違いますよね。
私は以前から「共感力や想像力がない」って言ってたんですけど、ブログで親しくなった、精神科医さんがとてもわかりやすい話をしてたのでリンクさせていただきます
http://www.b-rain-clinic.com/blog/blog01/ 簡単に言うと、自分は他人と全く同じ経験はできないわけです。でも自分の経験に置き換えて考えれば、ある程度のところまでは同じ経験を疑似体験できるんです。これが想像力とか共感って事だと思うんです。
「この人わかってくれるんだ〜」って感じるのは、相手の態度だったり声のトーンだったりじゃありませんか?人間のコミュニケーションって言葉だけじゃないんですよ。動きひとつだけでもわかっちゃったりするものです。
以前は「わかってほしい派」だった私ですが、介護していた経験があるんだから、今自分を介護している人が何を感じているか想像してもいいはずですよね?自分の事だけを押し付けちゃいかんです。
で、私がダンナの介護だけをしていた時を考えてみたんです。
ダンナのペースに合わせますから、そりゃあ疲れます、わがまま言うなと思います。そう言えるのは家族だからですよね。
家族って、生まれた時に最初に所属する集団なんですよ。だから非常に相手との距離感が近いんです。それが当たり前なんで、今までなにも無かった状態でいきなり家族が病気になったりすると、家族はその状況についていけないんです。受け入れられなかったりするのです。
だから迷う、イライラする、そういう気持ちを家族という病人にはっきり言う。他人には絶対言わない本音を遠慮なしに言うのが家族です。その根底には「そこまで言っても絶対にこの愛情は壊れない」という自信があるからいえるんですが…。
近いからこそ喧嘩になるんです。近いからこそ理解できないんです。理解できてると思い込んでるんです。
他人と自分との間にはパーソナルエリアと言う「こっからは自分のテリトリーだから入ってくんな!」的ものがはっきりしてるのですが、家族の場合はありません。いや本当はあるんですが気付いてないだけなんです。
「なんでわかってくれないの」病人である私たちはそう思っていますが、介護している家族たちにしてみれば「なんでこんな事になったの」と動揺しているのでケンカですね(^^;;
これが夫婦だと話が別で、介護の限界がきたら離婚という選択肢がありますが(苦笑)、家族には離れるという選択肢がないのです。場所を離れる事は簡単ですが、血は繋がっているので、余計に話は通じなくなっていきます。
病気になった現実をそのまま受けれられたら、本人も家族も楽なんですが、受け入れられない間はずっと葛藤です。
「なんでわからないの?」
「なんで痛いって言ってんのに歩けるの?」
これじゃあ水掛け論ですよね。
お互いの精神状態に良くありません。
できればかかりつけ医の方から、家族に同席してもらって病気を説明してもらうのが1番いいですね。と同時に介護する家族も不安があるんだと言うことを伝えて、とことん話し合ったほうがいいと思いますよ。家族間だけで話してもダメです。必ず客観的な意見が言える第三者と同席のとこで話をしてください。
病院の説明すら受けたくないという家族の方がいるのは当然わかっています。私も以前うつ病で経験しましたから(父が病院に出向き、うつ病という病気はないと医者に断言された経験の持ち主)。
そういう時には、無理やり理解してもらおうと思うのはやめたほうがいいです。相手は余計抵抗しますから。実際私は父から死ぬまでうつ病の事は理解してもらえませんでしたし(^^;;。
病気の理解はしてくれなくてもいいです。家族が介護してくれていると言うだけで「まだそこに愛情は存在してます」。だから、ありがとうと伝え続けてください。動けない私たちができるのはそれだけです。心から本気でありがとうと伝え続けていれば、いつか気付いてくれます。
怒りや憎しみからは何も生まれません。むしろ出てくるのは痛みだけです。
iPhoneからの投稿
posted by 島田ハルミ at 15:00|
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線維筋痛症
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